今日はいつもより早起きして、カフェに行ったら自分も反省しないといけない経験をしました。
お年寄りの人から永遠に長い話を・・・聞く羽目に・・・。
顔があったお年寄りに、ココに座りなさいと手招きをされ、 座ると、 話が始まりました。
「コーヒーにはミルクを入れないと胃に負担がかかる」
「コーヒーを飲んだ後には水を飲まないと駄目だ」
「ココのコーヒーショップのコーヒー豆はまずかったから、俺が東京のお店を紹介してやった」
「喫煙席を分けて、設置したのは自分の提案だ」
「東京大学の教授は俺の甥っ子だ」
「後輩の内科医がこういった」
「こいつは県警の本部長だった この名刺を出せば、警察にはどうにかなる」
「銀行時代に融資してやった」
「ボクシング部時代キャプテンだった」
「熊本の●●●銀行支店長だった」などなど
同じ話が繰り返されました。
このおじいちゃんは、80歳だそうです。
で、熊本のある有名な高校を出て、関東の大学に行かれて、 熊本で有名な銀行の本部長までいったそうです。
確かに熊本では有名どころなのは事実ですし、銀行の部長という事で力もあったのでしょう。
でも、そんな人の繰り返しの話。
私は聞いていて、一瞬 可哀想だけど「痴呆」なのかな?と思いました。
「今の日本はどうあるべきですか?」という質問を投げかけましたが、
それに対する回答は、
「そもそもアメリカに日本が戦争を仕掛けたのが間違いだった」
という答えのみ、それだけです。過去の事を言っても仕方ないのに、過去の事ばかり言う。
将来どうあるべきか?という話はありません。
ここで自分なりに思った事を書くと、 比較対照として、自分の祖母や祖父は、昔の事を、聞きたくも無い若者にこんなに熱心に話し続けただろうか?と思いましたが、自分のじいちゃんばあちゃんは、銀行員でもありませんでしたし特に優れた人脈もあったわけではありませんが、まだ、マシな方でした。人の話を聞く姿勢があったと思います。
それに、大量の権力者の古い名刺を持ち歩く事もありませんでした。
自分が80歳になったときに、自分はどうあるべきか?
かなりまだ先に思えることですが、 こうは なりたくないと思いました
その一方で、
80歳を越えていても、若い人の言葉を理解しようと聞こうとする資産家の人にも出会うことが あります。「年齢からはとても想像できないエッチなネタと 若い人の話を聞こう とする姿勢」「昔のバイブの話などまで・・・。」「リア充は大事だ!」とか仰っていたり、とにかく若い人の言葉が分らないと悔しいそうです。とにかく思考がどう考えても若く、知ろうとする意欲が強い爺さんとばあさんだなぁと感じました。
私も30歳を越えて自分の事を振り返るに、年下の人に、ああした方がいいとか、余計な事を書いて送ったりしていました。
それにうまくいった事を自慢的に話していたこともあります。
これはよくないことだなぁ と反省しました。
色々なステータスや権力にあこがれて、いつの間にかそこまでのし上がったとしても、いつまでもその事をPRされても聞く人にとっては耳障り、80年生きても、聞く人にそれだけの印象をあたえてしまったら
それまでその人が費やした人生ってなんなんだろうって思います。
一体何のために生きてきたんだろうって思います。
生きるということは、自分の命をちょっとづつ使って費やしていく行為だと思いますが、その中で、本当に自分自身が命を使って生きたいものって何だろうって思います・・・。
結局長く生きてこれかよって 感じてしまいました。
長く80年生きようが、逆に20年だけしか生きることができまいとしても、人に与える影響力って、人それぞれだなって 凄く感じました。
人生ってなんなんでしょうね・・・明日80歳になるとしたら、今日は何をしようか・・・ と、自分の書いている文章まで長くなりました。
人に誇れるものを持つのも大事だけど、その人 本人が本当に充実して幸せに感じて、周りの人にも、明るい波動を与えられないと駄目だなって感じちゃったかなぁ。
80歳 元●●銀行支店長 あんまり面白くない話を有難うございます。でも凄く自分の人生を考える上で、参考になりました。
※銀行員でも優秀で面白い方は大勢いらっしゃるのは もちろん存じ上げております。特定の職業の方を非難するための記事ではない事を一応 断っておきます。